教師が子どもに「値踏み」されている現実
【ゆとりからアクティブ・ラーニングまで】教育改革の9割が間違い 第9回
良識的なカリスマ教師は居ない
カリスマ教師は居る。並の教師以上に子ども(生徒)たちに影響を与えることのできる熱心教師の一種である。
熱心教師の中で「自分は特別な教師としての力を持っている」と思い込めるのがカリスマ教師としての第一歩だ。まず自己暗示がかかっていないと子ども(生徒)も暗示にかからない。
カリスマ教師は「とてもすぐれた教師」のことではない。「パーフェクトティーチャー」というと知力、指導力、人格性などすべてにおいてすぐれていなければならない。そんな教師はいない。
カリスマ教師は子ども(生徒)への指導力、影響力において一種特異な熱心教師のあり方である。ふつうの教師の模範になるような教師のありようではない。ふつうの教師には中々真似できない。
だいたい、カリスマ教師は常識的ないしは良識的ではない。ある種の狂気を内蔵していなければならない。
その狂気は「オレは完璧な教師だ」という幻想でもいい、「人類のために教師をするのだ」という思い込みでもいい、「子どもを立派な人間に育て上げるのだ」という目標でもいい、あるいは、「オレほど生徒のことを思い、尽くしている教師はいない」という錯覚でもいい。
そういう自信というか自負心がカリスマ教師を創り上げる出発点となる。いまは言葉でその心意気を表現したが、実際は言葉で整理できないような、子ども(生徒)を自分の思うように「創り上げよう」という一種の狂気が、子ども(生徒)たちに影響を与え、動かすのではないかと思う。
<『教育改革の9割が間違い』より構成>
- 1
- 2